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天太鼓舞の歴史

豊田市で民謡の「淡伶会」を主催していた奥田ますみ氏が、日本太鼓「みずぐるま」を主催する浦野浩之氏と、今までと違った創作性のある太鼓を舞台で表現してみたいと意気投合したことがはじまりです。

 

まずは、1988年に「花巻会」の10周年にて「花巻太鼓」として誕生しました。その後、奥田ますみ氏は豊田市文化協会の会員に呼びかけて、1992年1月に「打ちます!踊ります!」をモットーに天太鼓舞夢一座を旗揚げしました。

 

最初のメンバーは、民謡をはじめ、三味線、太鼓、踊り、演劇、舞台芸術の関係者に参加してもらい、30名が集まりました。それぞれ専門分野があり、一年に一作品ほどのペースで作品を作り上げていました。一堂に会して練習する機会は少ないものの、地道な努力が実りはじめ、民謡会や、竣工式のアトラクション、芸能発表会のゲスト出演などで舞台に立ちました。しかし、これだけではもの足りず、いつかは自分たちの発表会が持ちたいと思うようになっていました。

 

そんなとき、一座は「ソーラン節」を県文化協会大会で演じる機会に恵まれました。第1作目となる「ソーラン節」は、当時、話題となりかけていた TAIKO の「ソーラン節」に踊りも加え、再アレンジしたものです。ソーランで、曲と踊りと太鼓を合わせて演じるという試みは成功しました。これが好評だったので、文協の全国集会に県代表として「じょんがら」を演じました。1994年の旗揚げから5年経ち、ようやく自主公演を行うことができるようになりました。

 

当初、天太鼓舞夢一座は、流派、社中に関係のない活動を目指し、一人の技術を広めるのではなく、それぞれの個性を活かしていきたいと考えました。会員には太鼓、踊り、笛、三味線などそれぞれ得意分野を持つ人も多く集めることができました。このことは今の活動にも影響していると思います。

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